アラビア パラティッシ(Paratiisi)|カイピアイネンが描いた楽園

すみれ、ブラックカラント、ぶどう、果実。白い地が見えないほど、画面いっぱいに実りが描かれています。

アラビアのパラティッシは、北欧の器のなかでもとりわけ饒舌な一枚です。控えめであることを美徳としがちな北欧デザインのなかで、これだけ描き込んだ器がなぜ生まれたのか。その答えは、描いた人にあります。

パラティッシという名の「楽園」

パラティッシ(Paratiisi)はフィンランド語で「楽園」。1969年、ビルゲル・カイピアイネンによって生まれました。

このシリーズには、はっきりした出自があります。カイピアイネンが1967年のモントリオール万博のために制作したレリーフ《オルヴォッキメリ(Orvokkimeri/すみれの海)》。壁一面を埋める装飾作品でした。その世界を、日常の皿の上に移し替えたのがパラティッシです。

万博の作品が、食卓の器になった。そう思って見ると、あの描き込みの多さにも理由があるとわかります。

また、パラティッシはアラビアでシルクスクリーン印刷による装飾が使われた初期の例のひとつでもありました。手描きの絵柄を量産の器に載せるための技術です。

アラビア パラティッシ ブラック オーバルプレート 21cm
アラビア パラティッシ ブラック オーバルプレート 21cm

ビルゲル・カイピアイネン(1915〜1988)

ポリに生まれ、1937年に中央工芸学校を卒業。22歳でアラビアに入り、およそ50年をこの窯で過ごしました。

彼が働いたのはアートデパートメント、工場のなかにありながら量産のラインとは切り離された、作家のための部門です。だからこそ、彼は「装飾を減らす」という戦後デザインの流れに逆らい続けることができました。

形は絵を載せるための場所であって、主役は絵である。カイピアイネンの器は一貫してそう言っています。日本では「絵付けの王様」と紹介されることが多い作家です。

1977年に教授の称号を受け、その後も工場に通い、1988年に亡くなりました。パラティッシが復刻されたのは、その前年の1987年です。

旧パラティッシと現行のちがい

パラティッシは現在も生産が続いています。当店でお取り扱いするのは古いものですので、ここは正直にお伝えしておきます。

素地が違います。 初期のものはファイアンス(軟質陶器)で作られました。現行品はより硬質な磁器です。持ち比べると、古いもののほうがやわらかく、あたたかい手触りがします。反面、現行品のほうが丈夫で、欠けにくい。

形が違います。 初期のオーバルプレートは、いまのものとシルエットが違います。少し丸みがあり、縁の立ち上がりもゆるやか。並べると一目でわかります。

色が違います。 一枚ずつ、というレベルで違います。印刷の乗り方、地の白さ、焼きの具合。同じ絵柄でも二枚として同じものはありません。

どちらが良いというより、別のものだと思っています。古いほうを選ぶ理由は、その一枚にしかない表情があるからです。

アラビア パラティッシ ヴィンテージ オーバルプレート 29.5cm
アラビア パラティッシ ヴィンテージ オーバルプレート 29.5cm

ブラックとカラー

パラティッシには、多色のものと、黒一色で描かれたブラックがあります。

多色のパラティッシは、それだけで食卓の主役になります。料理を選ぶといえば選びますが、白いごはんと汁物、といった簡素な献立にこそ映えます。

ブラックは印象がまったく違い、静かです。柄は同じなのに、モノクロになるだけで落ち着いて見える。和食器の中に混ぜても浮きません。最初の一枚としては、ブラックのほうが使いやすいかもしれません。

パラティッシのある食卓

柄の強い器は、一枚だけ置くのがいちばんきれいです。

無地の取り皿を並べたなかに、パラティッシを一枚。それだけで食卓が締まります。全部をパラティッシにすると、さすがに賑やかになりすぎます。

組み合わせ方については、北欧ヴィンテージ食器のある食卓もあわせてどうぞ。

わすれなぐさのパラティッシ

パラティッシはスウェーデンの蚤の市でも人気があり、状態の良いものはすぐに人の手に渡ります。フィンランドの器ですが、スウェーデンにもよく流れてきます。

一点ものですので、いま出ているものが最後の一枚かもしれません。現在のお取り扱いはアラビアの商品一覧から、これまでにお迎えいただいた器は過去の商品からご覧いただけます。

アラビアというブランド全体については、アラビア ヴィンテージ食器ガイドにまとめています。

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